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2007年10月09日

猩々山 大津祭2007 曳山巡行

十番くじは、「猩々山」(しょうじょうやま)
寛永14年(1637年)

能楽の「猩々」から考案したもの。
むかし唐の国に住む高嵐という親孝行なものが、ある夜、夢に「揚子の町に出て酒を売れ」と教えられ売っていたら、海中に住む猩々から酌めども尽きず、飲めども味の変わらない酒の壷を与えられたという。

所望は、高嵐の酌で猩々が大壷で酒を飲むところ。
柄杓しか見えません…。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 11:29Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月09日

西王母山 大津祭2007 曳山巡行

九番くじは、「西王母山」(せいおうぼざん) 通称 桃山。
明暦2年(1656年)

西王母が天女とともに舞い下がり、君に桃のみを捧げ長寿を賀した。
この桃は3000年に一度花が咲き、一個しか実がならない尊いものであった。
この話に、桃太郎の説話を加味したものと言われている。

所望は、桃が二つに割れその中から童子が生まれる。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 10:04Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月09日

西宮蛭子山 大津祭2007 曳山巡行

八番くじは、「西宮蛭子山」(にしのみやえびすやま) 通称 鯛釣山。
万治元年(1658年)
延宝年間以前の名前は「宇治橋姫山」。

古くからの西宮の蛭子を出して飾り、祀っていたが、後に曳山に乗せるようになった。

所望は、えびすさんが鯛を釣り上げます。
鯛見えません…。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 08:30Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月09日

石橋山 大津祭2007 曳山巡行

七番くじは、「石橋山」(しゃっきょうざん)
宝永2年(1705年)
延享年間までは鞠猿山。

謡曲の石橋に基づいたもの。
大江定基入道寂昭が宋の国に渡り、天呂山に入って険しい石の端を渡ろうとしたとき、獅子が現れて牡丹の花に舞い戯れるのを見た。

所望は、岩石の中から唐獅子が出てきて牡丹の花に戯れ遊び、また岩の中に隠れる。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 07:07Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月09日

孔明祈水山 大津祭2007 曳山巡行

六番くじは、「孔明祈水山」(こうめいきすいざん) 通称 祈水山。
元禄7年(1694年)
万延元年までの名前は福聚山。

蜀の諸葛孔明が、魏の曽操と戦ったとき、流れる水を見て「敵の大軍を押し流してください」と水神に祈り、大勝した故事による。

所望は、孔明が扇を開いて水を招くと、水が湧き上がり流れる。
下のほうに一応見えるのが水。




























参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 00:01Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月08日

湯立山 大津祭2007 曳山巡行

五番くじは、「湯立山」(ゆたてやま) 愛称 おちゃんぼ山。
寛文3年(1663年)
寛文年間までの名前は孟宗山。

「天孫神社」の湯立ての神事はこの山から捧げるといい、山の形は「天孫神社」 をかたどり、周りはその廻廊をまねたもの。
この湯をかけられたものは五穀成熟、病気平穏、商売繁盛など縁起がよいという。

所望は、弥宜がお祓いをし、市蔵が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏する。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 23:03Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月08日

源氏山 大津祭2007 曳山巡行

四番くじは、「源氏山」(げんじやま) 通称 紫式部山。
享保3年(1718年)

紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた故事にちなんだもの。

所望は、石山をかたどった岩の中から、潮汲み馬、御所車、かさ持ち、木履持ちなでが現れては消えていく。廻り舞台の原型であるといわれている。


参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 21:31Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月08日

神功皇后山 大津祭2007 曳山巡行

三番くじは、「神功皇后山」(じんぐうこうごうやま) 安産の山。
寛延2年(1749年)

神功皇后が戦に先立ち、鮎を釣り戦勝を占ったとされる伝説にちなむ。
神功皇后は戦が終わった後、応神天皇を無事出産されたことから安産の山として信仰されている。

所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、次々と文字が現れてくる。
去年に引き続き今年も確認できず…。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  
タグ :滋賀大津


Posted by ねこた at 20:04Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月08日

殺生石山 大津祭2007 曳山巡行

二番くじは、「殺生石山」(せっしょうせきざん) 別名称 玄翁山。
延宝元年(1673年)

能楽の殺生石から考案したもの。
鳥羽院に寵愛された玉藻前は、実は金毛九尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、那須の殺生石となって旅人を悩ませていたが、玄翁和尚の法力によって成仏したという。

所望は、和尚の力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変わるところ。
左の柱と鐘の間にかすかに見えます。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 18:44Comments(0)■大津のお祭りさわぎ

2007年10月08日

月宮殿山 大津祭2007 曳山巡行

一番くじは、「月宮殿山」(げっきゅうでんざん) 通称 鶴亀山。
安永5年(1776年)

謡曲の鶴亀にちなんだもの。
唐の肯定が不老門に立って、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、夜を寿がれた。         

所望は、頭上に鶴と亀の冠をつけた男女の舞人が皇帝の前で舞う。































参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
  


Posted by ねこた at 17:20Comments(0)■大津のお祭りさわぎ