2007年10月08日
湯立山 大津祭2007 曳山巡行
五番くじは、「湯立山」(ゆたてやま) 愛称 おちゃんぼ山。
寛文3年(1663年)
寛文年間までの名前は孟宗山。
「天孫神社」の湯立ての神事はこの山から捧げるといい、山の形は「天孫神社」 をかたどり、周りはその廻廊をまねたもの。
この湯をかけられたものは五穀成熟、病気平穏、商売繁盛など縁起がよいという。
所望は、弥宜がお祓いをし、市蔵が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏する。
寛文3年(1663年)
寛文年間までの名前は孟宗山。
「天孫神社」の湯立ての神事はこの山から捧げるといい、山の形は「天孫神社」 をかたどり、周りはその廻廊をまねたもの。
この湯をかけられたものは五穀成熟、病気平穏、商売繁盛など縁起がよいという。
所望は、弥宜がお祓いをし、市蔵が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏する。
参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
2007年10月08日
源氏山 大津祭2007 曳山巡行
四番くじは、「源氏山」(げんじやま) 通称 紫式部山。
享保3年(1718年)
紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた故事にちなんだもの。
所望は、石山をかたどった岩の中から、潮汲み馬、御所車、かさ持ち、木履持ちなでが現れては消えていく。廻り舞台の原型であるといわれている。
享保3年(1718年)
紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた故事にちなんだもの。
所望は、石山をかたどった岩の中から、潮汲み馬、御所車、かさ持ち、木履持ちなでが現れては消えていく。廻り舞台の原型であるといわれている。
参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
2007年10月08日
神功皇后山 大津祭2007 曳山巡行
三番くじは、「神功皇后山」(じんぐうこうごうやま) 安産の山。
寛延2年(1749年)
神功皇后が戦に先立ち、鮎を釣り戦勝を占ったとされる伝説にちなむ。
神功皇后は戦が終わった後、応神天皇を無事出産されたことから安産の山として信仰されている。
所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、次々と文字が現れてくる。
去年に引き続き今年も確認できず…。
寛延2年(1749年)
神功皇后が戦に先立ち、鮎を釣り戦勝を占ったとされる伝説にちなむ。
神功皇后は戦が終わった後、応神天皇を無事出産されたことから安産の山として信仰されている。
所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、次々と文字が現れてくる。
去年に引き続き今年も確認できず…。
参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
2007年10月08日
殺生石山 大津祭2007 曳山巡行
二番くじは、「殺生石山」(せっしょうせきざん) 別名称 玄翁山。
延宝元年(1673年)
能楽の殺生石から考案したもの。
鳥羽院に寵愛された玉藻前は、実は金毛九尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、那須の殺生石となって旅人を悩ませていたが、玄翁和尚の法力によって成仏したという。
所望は、和尚の力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変わるところ。
左の柱と鐘の間にかすかに見えます。
延宝元年(1673年)
能楽の殺生石から考案したもの。
鳥羽院に寵愛された玉藻前は、実は金毛九尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、那須の殺生石となって旅人を悩ませていたが、玄翁和尚の法力によって成仏したという。
所望は、和尚の力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変わるところ。
左の柱と鐘の間にかすかに見えます。
参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
2007年10月08日
月宮殿山 大津祭2007 曳山巡行
一番くじは、「月宮殿山」(げっきゅうでんざん) 通称 鶴亀山。
安永5年(1776年)
謡曲の鶴亀にちなんだもの。
唐の肯定が不老門に立って、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、夜を寿がれた。
所望は、頭上に鶴と亀の冠をつけた男女の舞人が皇帝の前で舞う。
安永5年(1776年)
謡曲の鶴亀にちなんだもの。
唐の肯定が不老門に立って、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、夜を寿がれた。
所望は、頭上に鶴と亀の冠をつけた男女の舞人が皇帝の前で舞う。
参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
2007年10月08日
西行桜狸山 大津祭2007 曳山巡行
巡行の先頭は、くじ取らずの「西行桜狸山」(さいぎょうざくらたぬきやま) 通称 狸山。
寛永12年(1635年)
屋根の上のタヌキが祭当日の天候を守ると言われるだけあってもちろん天気は良好。
所望は、花の中から桜の精(仙人)が現れて西行法師と問答する。
西行法師のアップ写ってません…。
寛永12年(1635年)
屋根の上のタヌキが祭当日の天候を守ると言われるだけあってもちろん天気は良好。
所望は、花の中から桜の精(仙人)が現れて西行法師と問答する。
西行法師のアップ写ってません…。
参照流用:NPO大津祭曳山連盟 http://www.otsu-matsuri.jp/ 作成パンフレット
2007年10月08日
大津祭2007
大津祭曳山巡行。
今年も、もちろん行ってきました。
でも今年は立ち位置が悪くて、所望が見えない曳山があったのが残念。
来年は違うポイントで見ようかなぁ。
まずは「天孫神社」(てんそんじんじゃ)。
神主さんの乗ってる馬さん。
気分がイマイチ乗らないらしく、かなりご機嫌斜め。
この馬、前日の宵宮に到着したんだけど
なんと曳山が飾られ人の一杯いる道を
「馬通りまーす。」と通り過ぎていきました。
今年も、もちろん行ってきました。
でも今年は立ち位置が悪くて、所望が見えない曳山があったのが残念。
来年は違うポイントで見ようかなぁ。
まずは「天孫神社」(てんそんじんじゃ)。
神主さんの乗ってる馬さん。
気分がイマイチ乗らないらしく、かなりご機嫌斜め。
この馬、前日の宵宮に到着したんだけど
なんと曳山が飾られ人の一杯いる道を
「馬通りまーす。」と通り過ぎていきました。